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イタリア満喫ブログ

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ヴェローナ散策 parte 2

7月11日(水)ヴェローナ散策 その2

(写真は一部を除いて、すべてiPhoneで撮影したものを掲載ました。)

ホテルはアレーナから歩いて1分。とっても便利。
オペラが終わって、歩いて帰るのに、立地をまず最初に考えてここに宿泊しました。
内装は近代的で快適。部屋からアレーナが見えました。

宿泊先 http://www.hotelmilano-vr.it/
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ホテルの朝食。内容も充実してました。これは一部です♪ヴェローナ散策 parte 2_d0096584_1803344.jpg



さてと。。。朝食を済ませて、外へでました。

ここはマッツィーニ通り。人が少ない朝の様子。
ブランドショップが軒を並べ、昼ともなれば大勢の観光客で賑わっています。

Via Mazzini
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ヴェローナといえばロメオ&ジュリエッタでしょっ♪
1968年の映画「ロミオとジュリエット」のオリビア・ハッセーが美しかったですね。。。
まさか、のちに、布施明さんと結婚するとは、ビックリでしたねぇ。ヴェローナ散策 parte 2_d0096584_1861967.jpg

はい!それで。。。ここヴェローナには、ロメオとジュリエッタの家があるのですね。
写真はジュリエッタの家の入口です。はい、もちろん入場もできますよ。

Casa di Giulietta
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  。

こちらは、ロメオの家の外壁です。早朝だし、扉が閉まっていますね。。。
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旧市街散策していると、工事をしているところをよく見かけます。
こういう看板もなんだか絵になるような気がして、ついシャッターを切ってしまいます。
歩行者に反対側を歩くように言ってるのかな。。。
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こんな可愛い名前の路地を見逃すわけがない!!
Vicolo Gatto「ネコ路地」
わ~~~、なんか、映画「魔女の宅急便」みた~い!
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な~んて、ワクワクしながら路地に入ると。。。
黄色の壁に「魔女の宅急便」に出てきたみたいな看板!! うっひゃあああああ!!
思わず、笑っちゃう私でした。ヴェローナ散策 parte 2_d0096584_18213998.jpg



そして、ヴェローナ散策-Parte 1-に登場しましたダンテ像ふたたび登場!!
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ダンテってどんな人ってWikipediaで調べてみちゃったりしてね。。。

(以下、Wikipediaより転記)
ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。代表作は彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』および詩文集『新生』。
イタリア文学最大の詩人とされ、ルネサンスの先蹤ともいわれる。
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1265年、中部イタリアにあるトスカーナ地方のフィレンツェで、金融業を営む小貴族アリギエーロ・ディ・ベッリンチョーネ・ダリギエーロとその妻ベッラの息子として生まれた。先祖には、第2回十字軍に参加して1147年に戦死した曽々祖父カッチャグイーダがいる。
ダンテは生後、聖ジョヴァンニ洗礼堂で洗礼を受け、「永続する者」の意味を持つドゥランテ・アリギエーリ(Durante Alighieri) と名付けられた。「ダンテ(Dante)」は、ドゥランテの慣習的短縮形である。
正確な誕生日は明らかではないが、『神曲』天国篇第22歌の第109行から117行の中にその手掛かりが見られる。

わがかの金牛に續く天宮を見てその内に入りしごとく早くは
汝豈指を火に入れて引かんや
あゝ榮光の星よ、大いなる力滿つる光よ、我は汝等より
わがすべての才(そはいかなるものなりとも)の出づるを認む
我はじめてトスカーナの空氣を吸ひし時、
一切の滅ぶる生命の父なる者、
汝等と共に出で汝等とともに隠れにき


『神曲』天国篇第22歌 第109行から117行(山川丙三郎訳『神曲 天堂』より)

この記述によって、ダンテがトスカーナに生を享けたのは、すべての生命の父たる太陽が黄道十二宮の金牛宮に続く双児宮のもとに懸っていた間ということがわかる。すなわち、双児宮のダンテの生誕日は、1265年の5月半ばから6月半ばにかけての間と考えられている。

少年時代のダンテについての確たる記録は乏しく、どのような成長過程を送ってきたかは定かではない。修道院で見習い修道士として修行してきたとも、没落貴族の子弟として世俗の中で育ってきたとも言われており、諸説は一致を見ない。多くのダンテの伝記は、ダンテ自身の作品である『新生』や『神曲』の記述に頼っており、生年月日すら詩文からの推定によるほかないのである。だが、少なくとも成長の過程でラテン語の古典文法や修辞学などを学んできたと思われる。
ダンテが最も敬愛する師として『神曲』に登場させているのは、『宝典』を著したブルネット・ラティーニである。ダンテはおそらく青年時代に彼から修辞学などを学んだとされており、『神曲』地獄篇第15歌で、男色の咎ゆえに炎熱地獄に配しながらも、「人間が生きる道」を教えてくれた旧師に対する敬慕を忘れていない。この頃、ダンテはウェルギリウスやルカヌスらラテン文学の教養を身につけた。また、ダンテはフィレンツェの詩人から大きな感化を受け、「清新体」と呼ばれる詩風を創り上げた。
(以下、省略)




街を散策中に、インターネットで調べながら歩いていると、

ドンドン時間が過ぎてしまいますね。

ヴェローナ散策は、もう少し続きます。


それは、また次回に!


Ci vediamo!!
by buon-giorno | 2012-08-24 18:29 | '12 夏休みの過ごし方